私の思ったことを綴っていく!

美容もいろいろ気になっている

小田原とユネッサン。

こんにちは、今ロマンスカーに乗ってます。

ロマンスカーいいですよね、なんかリッチになった気分になれます。全部寝たけど。今口の周りにガトーショコラついてます。おいしい。

小田原に来ました〜!!!!

どーん!

お祭りの日だったらしい。すごい掛け声とすごい勢いでした。

小田原北條五代祭り

骨肉争う戦国時代にあって、五代約100年にわたり関東に君臨し、領民の安寧を理想とする国づくりをおこなった戦国大名北条氏を称える小田原市最大のお祭り。 主に北条五代歴代城主を模した武者行列と、地元の吹奏楽部や陸上自衛隊などの音楽隊、神輿などのまち衆隊も参加し、総勢1700名が勇壮に市中を練り歩く。 また、街中では、北條鉄砲衆による発砲演技や風魔忍者のパフォーマンスのほか、記念品がプレゼントされるスタンプラリーや手裏剣投げなど体験型イベントもおこなわれる。

らしい。なぜか今年は5日に開催されてたけど、毎年3日にやってるみたいですね。

ユネッサン

今日小田原に来た目的はユネッサンにいくこと!

夏だ!!!水着だ!!!!!わーい!!!!!

これはまだ化粧が残っている状態。最後帰る頃にはもう完全にすっぴんになってた。

コーヒー風呂とかワイン風呂とか楽しいのいっぱいあった。

なんか記憶だと黄金のプールとかあったような気がしてたんだけどなかったので記憶違いかなあ。

黄金のプールはどこにあるんだろう...?虚像??

前回行ったのは10年以上前の話だけど、記憶とだいぶ違ったので驚きました。

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帰りにお土産としてかまぼこ買いました!

おいしい!

なんで小田原といえばかまぼこなんだろうね。

小田原かまぼこのはじまり

正確なことは明らかになっていませんが、小田原で蒲鉾づくりが盛んになったのは、今から220年くらい前(天明年間)、小田原城主“大久保忠信”の時代≪北条早雲時代(1432〜1519年)という説もあります。≫だといわれています。

このころの小田原は沿岸漁業が盛んでたくさんの魚が獲れていました。この魚の保存利用として誕生したのが小田原蒲鉾です。漁獲される魚の評判を聞き、日本橋の蒲鉾職人などが小田原に移り住んだともいわれています。

交通が不便であった当時は、箱根に新鮮な魚を供給することが困難でした。そこで供されるようになったのが保存性のよい蒲鉾です。特に小田原は、蒲鉾づくりに欠かせない豊富な魚と水に恵まれていました。

さらに、小田原蒲鉾は参勤交代で箱根路を通る大名にも賞味されたため、職人たちはより一層技術の向上、鍛錬に励みました。

参勤交代の経済効果半端ないなあ。今はもう新鮮な魚を食べることができるけど、刺身よりかまぼこの方が好き。

でも現代でもかまぼこの賞味期限は2週間くらいなのにどうやって保存していたんだろう...?歴史に疎いからわからないなあ。

今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」いい日曜日だ!!!